川崎廣進・工房カワサキの世界

〜The World Of Koushin Kawasaki & Koubou Kawasaki〜

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ヒマラヤトレッキングの思い出(その1)    2007年05月20日

5月1日からの12日間、初めての北インドヒマラヤトレッキングの旅は私の生涯にとって忘れる事の出来ない旅でした。

総数58名、最少年齢7歳、小学生から高校生までがほとんどで大人が8名でここでも私が最長年齢の65歳でした。私をヒマラヤの旅に誘ってくれた大学教授のミスタービピンは東京の大学にも9年位教えていてそこそこ日本語も話せる人で彼は50歳で後から2番目でした。その他大人は若いお母さんやハイスクールの先生でした。

まずコースを簡単に説明しますと5月1日早朝ハイデラバードを夜行寝台で出発し2日の朝ニューデリー着、5時間ほどホテルで休息し自由行動、夕方バスにてデリーを出発、翌日夕方ベースキャンプ地(LOHA GADERA)に到着、途中夜食(RISHIKESH)でバスの乗り換えでした。

この間車中2泊でかなりハードでした。このべースキャンプ地は約標高2400メーターの所です。4日目からのトレッキングは第一キャンプまで6キロ歩行で下り、第2キャンプ地まで1200メーター上りで8キロ歩行、第3キャンプは8キロ歩行の700メーター上りで最頂ここで2泊(BEDANI KUND)、此処が3600メータ地点で第4キャンプ地まで6キロ歩行で下りで最後の日も15キロ歩行で下ってきて元のベースキャンプ地で再び泊まりでした。翌朝出発で来たときと同じ道を帰るというスケジュールでした。

話を振り出しに戻すと、着いたベースキャンプの町LOHA GADERAはそんなに大きな町ではありませんでした。バスの終着点でもあり2台バスがつながって来たらUターンするのもやっとで10数軒の小さな小売店が立ち並ぶ狭い道端で毎日の様に入れ替わりこの町に入ってくるトレッカーの人々を、慣れた表情で横目で眺めながら男衆は数人ずつ固まっては野外テーブルに腰掛けてトランプに耽ったり別のところで雑談しながら短い夏の陽光を精一杯楽しんでいる人達でした。

此処まで来ると服装も厚手のコーヒ豆が入っているドングロスのような上着を着ていて暖かそうだ、女性は頭に厚手の襟巻きのようなスカーフで頬かむりをしていて、色も華々しかった。まるでチベット人かインディオ達好みの原色に近い色が山岳民族の特色のようでした。

到着の夕方は翌朝から1週間のトレッキングの説明があった。真っ白に雪を頂ているヒマラヤ山系の方角をリーダーは背にして山を指差しながら1日目はあそこでキャンプをし2日目はあそこまで登って、と指差す方向を真剣に見聞しながら遙か彼方に見えル山々をあんなに遠い所まで行くのか?と皆唖然としていた。

説明が終わってさっそくテントに入り荷物の整理をした。ディナータイムは9時と聞いて皆その場を散った。夜空の星は特別な輝きに見えた。まるでこの大きなヒマラヤの空まで我々を歓迎してくれているようだった。最初の晩とあって皆興奮してディナーが終わってもテントの中がざわめいていた。厚着に変えてるせいか暑くも無く寒くも無くその夜は遅くまで夜空の星を眺めたり外でたたずんでいた人も多かった。



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