川崎廣進・工房カワサキの世界

〜The World Of Koushin Kawasaki & Koubou Kawasaki〜

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ヒマラヤトレッキングの思い出(その2)    2007年05月22日

目が覚めたら6時だった。ミスタービピンは横にはもういなかった。早速スケッチ道具を持って外へ飛び出た。朝日が周りの山々を染めながら登ったところだった。ミスタービピンはこの村を探索してきたらしい。きっと5時ごろ起きたのだろう。数人が朝日を眺めていた。7時からはキャンプ地での初めての朝食だ。見るもの食べるもの何でも北インドの奥地のものは珍しかった。

朝食はIDLI(蒸しパンのような主食)、VADA(ドーナツのよう)、UPMA(ジャガイモをつぶしてグリンピースを混ぜた様なサラダ)、いずれもハイデラバードで食べたときより美味しく感じた。食事が終わって早速8時半の出発準備だ、1週間携帯電話や要らないものは全部預かってくれた。最後の日は又このベースキャンプに戻ってくる。借りたリュックに詰め替えて皆元気よく出発した。

今日は6キロ走行の下りで最初から軽く思っていた。さにあず上りや下りの連続で道も礫岩で石ころだらけだった。尻もちついて降りるような激しい下りがいくつかあった。2時間くらいでもう足のつま先やももたの肉が突っ張って痙攣しそうに痛かった。「こんなくらいなら上りのほうが楽なんじゃないか?」独り言をぶつぶつ言い出しながら歩いた。何人か太った大人の人も痛そうだった。私は途中で腰を下ろしてズックの紐をしっかり結びなおした。そしたら力が足首にも分散してとても楽に感じた。

山岳に住む人々とも出逢った。日焼けしたおじいさんの笑顔は我々の通過を見届けるようににこにこ笑って眺めていた。若い娘さん達は背中に竹で編んだ丸いかごを担いで路肩に腰を下ろして一休みして話し込んでいた。いずれも山間ののどかな風景であった。

途中石楠花や大きなヒマラヤスギの群生があり多くさんの草花にも出会った。森の中には天井から降り注ぐ木漏れ日がたち込め、その陽光を受けて石楠花がピンクや赤い大きな花ビラを一杯に広げ下から見ると太陽に透けて薄い色や濃い色が混ざり万華鏡のような艶やかさだった。そんな道にはきまって石楠花の落葉が積み重なり歩いていてもさくさくと音がして地肌の枯葉の上にはシマウマのように美しく木漏れ日の模様が出来ていた。

樹齢何百年も経った大木がその役目を終えて朽ちはて横たわっていた。20メートルも30メートルも長い木肌には分厚い苔やきのこまでを宿して叩くと中がボンボンと空洞のように軽い音がした。バクテリアによる侵蝕は生きる物すべての厳しい自然界の掟でも在る様にヒマラヤの中に静かに眠リ食物連鎖の宿命を甘んじて受けてるようにも思えた。途中何度か谷川や雪解け水が流れ出る細い滝水を飲んだり水筒に入れ替えたりした。冷たく美味しいその水は霊峰の薬水のようにも思えた。

1日目は誰一人大きなアクシデントも無く皆無事に第一キャンプに着いた。途中何度も立ち止まって山の草花を観察したり絵を描いたりしながら歩いていた。針葉樹林が多くヒマラヤスギ、松、樅とれをとっても立派な樹林が目立った。とりわけヒマラヤスギは直径2メートルもあるのがざらにありその木肌には苔が木肌を隠すように全面に覆っていた。多くの枝にもまるでツララかコウモリがぶら下がっているように10センチも20センチも無秩序に下がっていた。遠くから見ると人間の存在が小さく見え自然界の雄大さが感じとれた。その日はさして疲れも無く明日に備えてゆっくりくつろいだ。明日はこのコース一番の登りである。



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