川崎廣進・工房カワサキの世界

〜The World Of Koushin Kawasaki & Koubou Kawasaki〜

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ヒマラヤトレッキングの思い出(その7)最終編    2007年05月29日

まだ明るいベースキャンプの村はデリーから来た時となんら変わらぬ様子だった。我々は借りたリュックをかたづけ明るいうちに色々な買い物もしていた。私は小さなりんごを2つ買ってミスタービピンと1個ずつ食べた。赤く美味しそうに見えたがあまり水分が無かった。

別のグループが明日から始まるトレッキングの一日目で合流した。我々は今夜はテントでなく小屋の方での宿泊になる。夕暮れには全員で反省会があった。意見のある人達が塊の前に出てリーダーの横で意見を言っていた。

6・7人が喋ってざわざわカワサキ、カワサキと叫んでいた。私は後ろでかがんでいたらミスタービピンが来て「川崎さんが人気があって通訳するので一言何か喋ってくれ」と言った。私は自然の大切さと環境について知ってる事を話した。ビピンはこと細かく通訳してくれた。誰一人何事もなく帰れた事はとってもうれしかった。

山並みに日も沈み1時間後のディナーまで電池の充電や寝床の準備をした。子供たちは私に「今日は僕らと寝よう」といって寝床を押さえてあった。最後の晩は子供たちと一緒に寝る事にした。

寝ながらハイデラバードを出発して10日間の思い出を回想した。下痢に苦しんだり思わぬヒマラヤで生きてる人々との出会いがあったり数知れない体験をインド滞在最後の土産にもらい心のボストンバックにしっかり詰め込んだ。それらはお金で買えない大切な宝物である事は私の体が一番よく知っている。

「人間が生きていくのに何が一番大切なのか?」という問いにこのヒマラヤの大自然は無言で私に教示してくれた。直径2メートルもある大木樹林はヒマラヤに深く気高い森を作り、その中に質素に花びらを天に向けてひろげて可憐に咲いている多くの植物にも尊い命が宿っている事を今更ながら知った。途中採ってきたワラビも「これは食べられない」といわれた時は残念だった。

5月10日朝9時に2台のバスに乗り込んで私たちはベースキャンプを後にした。来た時と同じ道をバスは山道をゆれながら下って走った。どこまでも車道に沿って蛇行するガンジス川の上流は深い谷に見え、その水の流れは白く泡立っていたところも何箇所もあった。黄色や赤や紫色の花が10日前の来るときより今が見頃とばかりに咲きほころび短い夏の山道を賑わしていた。

道の左側が山の斜面で落石の危険が至る所にあり、たった今ダイナマイトで道幅を広げたばかりのところもあった。バスは上がってくる自動車とすれ違うのがギリギリのところはいくらでもあった。途中出てくる大きな街は道路に沿って商店が200メートルも300メートルも続いていて街らしく賑わっていた。バスは不法駐車のため1車線がつぶれた狭い商店街のような中をクラクションを鳴らし続けて通過していた。

途中スリーナガールで夜食を取ってバスを乗り換えた。翌11日の早朝6時にバスはデリーのホテルに無事に着き此処で9日ぶりにシャワーを浴び気持ちのいいベットで一休みして夕方4時まで自由行動した。

一緒にいたミスタービピンに私はデリーで皆と別れて残りますと行くときから言ってあった。舌の先に小さな出来物が1年くらい前からありデリーの医者が良いといわれ手術をする予定だった。今日5時に友人が診断の予約を入れてあって明日手術する予定になっていた。

皆と同じような時間に私もホテルを出て全員バスに乗り込むのを見届けて別れた。皆バスの窓から身を乗り出してなぜ一緒に帰らないんだと言っていた。先生もハイスクールに是非遊びに来てほしいといっていた。バスはニューデリー駅まで皆を乗せて行き再び今夜の夜行列車に乗る予定になっていた。11日間寝食共の行動は今度また何時会えるかわからない惜別のおもいだった。

4時半に友人のモヒット君が迎えにきて早速医者に直行した。診察を済ませて明朝9時の手術時間を指示された。やっと日本に帰る前に、できものを切る事ができるので安心した。

荷物を彼の家に置いて夕刻に初めてのデリーの街並みを楽しんだ。デリーはハイデラバードよりゴミが少なく緑がとっても多く中心はまるで森の中にビルが林立しているように見えた。夜は彼が呼んだ日本人女性と3人で中華料理を食べた。

彼のお父さんも絵を描いている、というので以前から逢うのを楽しみにしていた。その夜は彼の家で泊まり、朝起きてまず洗濯機を借りてあるもの全部洗った。お母さんは産婦人科の医者をしていると言っていた。皆で朝食を済ませ2人の絵を描いて差し上げた。パパイヤやマンゴは旬なのか格別に美味しかった。時間がせまって来たので病院に走った。

30分くらいですべてが終わり帰りの夜汽車の切符を買いにニューデリーの駅に行った。インドは切符が中々手に入らないと言うので先に買っておこうと思い、窓口では運よく今晩の夜行寝台が取れた。後はゆっくりと市内を3時間ほど観て回った。

地下鉄(地上)にのってニューデリーの街を見てまわった。汽車の時間も迫ってきたのでモヒット君の両親に挨拶して駅に急いだ。ホームでバナナを一房買って列車に乗り込み窓から彼に挨拶した。インドは何でも遅れるのが普通だがこの汽車は始発駅のためオンタイムで出発した。彼は明日の飛行機でハイデラに行くといっていた。姿が見えなくなるまで走りながら手を振って見送ってくれた。彼はきっと私が心配でわざわざハイデラバードから飛行機でニューデリーまで来てくれたようだがその事は何も言わなかった。

私はヒマラヤの旅で知り合った人達を始め多くの人々にお世話になり、心から感謝し素晴らしいインドの土産に心にしまっておいた。明日の夜にはこの汽車はハイデラバードに着くだろうと思いながら眠りについた。



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