川崎廣進・工房カワサキの世界

〜The World Of Koushin Kawasaki & Koubou Kawasaki〜

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写真家目指すミスター ラム    2008年09月04日

ここハイデラバードに日本語を教えている学校がある。そこで教えている32歳のインド人教師のラム君がいる。2年前にここへ来た時私と初めての出会いだった。今度の訪問で彼とは1年ぶりの再会であった。ここに勤務している日本人教師から1月ほど前の一時帰国の折、日本製一眼レフのデジカメを買ってきてもらったらしく、毎夜細やかな日本語の説明書を読みながら使い方の勉強をしている日々である。カメラに触る彼の目は「水を得た魚」の様に生き生きしている。

彼の話によれば1日50枚前後写真を撮って練習しているらしい。私も(絵を描く)という観点から色彩、アングル、被写体の物語性、等々私の選んだ写真1、2点を素人評価する。出会って話をする度に自分の人生観をしっかり持った青年であるな〜と痛感した。それだけに個性も強く、意見の対立することしばしばである。話を聞けば家庭は決して豊かではなく苦学してここまで叩き上げ、随分両親に心配ばかりかけてきた、言わばやんちゃ坊主であったようだ。

そんな彼の生い立ちと人生観を聞いていると一部分には私の過去と一脈通じるものがあり共感や反論もする。しかしここはインド、いかなる対立、相違、があろうと私は反論しても最後は大人らしく言葉を呑みこみ、納得する術も年長者として心得ている。もっとも彼の年は私の子供より若い年齢にあたる。インドも日本も何処の国であろうが人の生き方、考え方は千差万別で、話を聞きながら自分の過去と重ね合わせて考えるのも同宿の楽しみの一つだ。

生活習慣や国民性は、国が違えば大きく離れて、お互い相容れぬところは仕方のない事である。たとえば「何故ご飯を手でつまんで食べるんだ?」とか「何故女性が座るのにあぐらをかたり、立てひざで座るんだ?」「何故牛が人間や自動車より偉いんだ」など議論すれば、いとまが無いほどネタが豊富にある。だから異国情緒など旅の楽しみが私たちを魅了してやまないのだ。すべてが日本と同じで言葉だけ違うのなら遠方渡航してまで見聞を広めたい気持ちが起きないだろう。

彼とは深夜でも涼しい外に出て、カメラ談義に明け暮れる事しばしばである。ベルトを首にかけ分厚いカメラを右手に握り締め、腰をしゃがめてシャッターを押したときの「カッシャ」と機械の奥から搾り出した様な低い音は、一眼レフに触った経験者にとってたまらぬ快感だろう。私がパソコン病に犯されたように、彼もまたお金のかかるいやな病に犯されようとしているのを見ていると気の毒にもなってくる。ただ救われる事は、撮っても不要な写真は消せる事だ。

時折私は「おいラムや」と言うと「YES SIR」と歯切れのいい返事が跳ね返ってくる。「あのな、あまり余計な趣味もってお金のかかることよせや、服や靴だってブランド品の良い物ばっかり持って、それだけお金で持ってたら?」と私は念を押すと、彼は得意満面に「思いついた時に買っておくと着たいときに着れる」と言い返してくる。ま〜カメラぶら下げてブランド品着て飯が食えれば?〜遥か遠い先だろう?彼の掲載写真は次のサイトです。日々増えるようです。
http://www.flickr.com/photos/14504351@N07/sets/72157604603893305/

真ん中写真うわさのラム君



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