川崎廣進・工房カワサキの世界

〜The World Of Koushin Kawasaki & Koubou Kawasaki〜

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アジャンタとエローラの旅(その2)    2008年09月10日

バスに乗り込んで第2の目的地エローラに向かった。わずかな距離ではあるが見渡す緑の大地である。このデカン高原は何処に行っても高い山は無く農作物を作る農家にとって綺麗な田畑が整然と並び、トウモロコシ畑やサトウキビや大麦畑が延々と続き、街路樹にはバニヤンの大木が道路をおいかぶす様に立ち並んでいる。ガイドさんにバニヤンの樹を聞いたらウオールツリーと言った。確かに白い木肌の太い樹は根っこが壁のように広がってまるで蛸足が絡まったように見える。

エローラに着き数多くの洞窟群が立ち並ぶ中、要の所だけをガイドの説明があった。私はかいつまんで大まかに聞いたが、何分言葉が分からず人間の様々な表情や彫刻に目を奪われ感心していた。どこも中は暗く5世紀から7世紀ほどの間に100年も200年も掛けて出来上がったものらしく、あの硬質な玄武岩を削り崩して作られ、気の遠くなるほど長い歳月をかけて作った石窟は、見るほどに重みを感じ、ただ天井を眺めながら口をあけ、唖然と感心するばかりであった。

小さな石窟の説明は先に終わり、メインのカイラーサナータ寺院でその日の最後の説明がされた。950人もの建築家が集まって150年もかかって出来上がったらしく、どこをとってもその細工の細かさに、ただ唾を飲むばかりである。建築家の数がそれだけなら石を彫ったり運んだり食事の用意する人も含んでおそらく数万人が何代もかけて出来上がった事を思うと、当時は一人の人生が石を彫る事一筋に賭け、子々孫々に至るまで一つの仕事に生涯を賭けたことになる。

私は絵を描くにも、余りに細やかな細工に身を包んだ遺跡は簡単に短時間で描けず、ならば写真で残そうと思えばまたもや電池切れになり、結局何時か又訪れた時の楽しみにしょうと諦めた。私は壊れた(液晶画面のみ)デジカメを辛抱強く使っているが予備の電池も落としてしまい、RishiValley School以来少し不自由だが、反面絵を描けるメリットもあるので贅沢言えないのである。しかし若い男性ガイドさんが何も見ずに延々と語る記憶力に我ながら感心した。

一日目の観光も終わり再びマイクロバスに乗り込み一路ホテルへ向かった。観光にはもう一台のバスも用意され、その中にも数人の若い日本人や同じ肌色の韓国人が乗り合わせていた。この田舎町には人口こそ少ないが世界中から訪れる観光客で町が潤っているようにも思えた。ホテル業やタクシー、レストラン、土産売り屋さん、そしてもろもろの観光関連商売で成り立っているようだ。私はバナナとりんごを屋台で買ったがりんごはいまひとつであった。

昨夜の車中泊はやっぱり疲れが取れず、お湯の出るシャワーは渡印以来のことで、しばらく頭の上からお湯シャワーで贅沢し体内まで暖まった。明日のアジャンタ観光が終わり次第又夜汽車に乗って翌朝にはハイデラバードに着くハードスケジュールに今夜は早めにゆったり眠りに入りたかった。 続く



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