川崎廣進・工房カワサキの世界

〜The World Of Koushin Kawasaki & Koubou Kawasaki〜

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アジャンタとエローラの旅(最終回)    2008年09月13日

緑の台地を分断するようにバスは約3時間ひた走った。昨日はエローラの石窟群の素晴らしさに魅了されタイムスリップして私の体と心が遠くに離れてしまった思いだった。スケッチこそ1枚しか描けなかったが、今日こそもう少しは思い出に描き残したいと考えていた。入るなり仏教寺院の石窟を見、エローラの様に天井や壁に隙間無く彫られた細やかな彫刻は、昨日と違って薄暗い中にも色彩がほど良く残っていた。しかしそれらは1000年以上も湿度の高い洞窟の中で持ちこたえた様には見えず数度の手直しがされた様にも見えた明度だった。

色褪せ、剥げた中をよく観ると彫刻の彫りの深い底には乳白色のライムストーンで下地を作りその上に岩彩をライムストーンと混ぜて施したはげ方に見えた。 太陽の紫外線が届かないとはいえ、湿度の高い岩の中でどの様にして10世紀以上も色彩が維持出来るのか、はなはだ疑問である。これは日本でも飛鳥古墳の石棺の事例でも世界中にいくらでもその様な謎があるだろう。

暗い洞窟の中から太陽のまぶしい外に出ると、進行方向左に道が緩やかにカーブしていた。3、400メートルも先に、長い岩肌をむき出した小高い石窟群の、大小さまざまな入り口が並んで小さく見えた。私は道路に出た所で皆と別れ、反対側の高さ1メートルもあるコンクリートの手摺に背中をあずけ絵を描き始めた。石窟の反対側は何処でも垂直に切り立った深さ20メートルもある渓谷になっており、谷川の水は白く泡立って涼しそうに流れていた。

山肌にへばりつくように繋がった一本の細い道は横一列に並んでいる石窟群の暗い入り口を白く水平に突き抜け、色とりどりの観光客の姿が小さく動いているのが見え、窟から出る人、入る人、行く人、帰る人、と静かな山間の色賑わいであった。遠くから眺めた石窟群の比較的低い山の頂上は、ここまで来た時のような緑の豊かな田畑や草原大地と裏腹に、岩山の表面に僅かにかぶった土の上にへばりつくように地被植物が繁茂し、まるで緑の帽子をかぶった様だった。

下のレストランで3時集合になっており各自各自が目の前通り過ぎて帰ってきた。時間を気にする必要の無い私は気楽に描けた。一箇所しか見れなかったが十分満足した。ランチを食べ終わるや私たちはバスに乗り込んだ。2日間の観光旅行はつつがなく終わった。一年3ヶ月インドにいて、タージマハールと今度とで世界遺産は3箇所行ったことになる。驚いた事は日本人バックパッカーの多さに驚いた。若い男女の憧れは先進国と思っていた私は大誤算だった。

すべてのスケジュールも無事終わり、夕食を早めに済まし9時前の夜行寝台を1時間待った。沢山あった石窟群も半分ほど見ただろうか?2日間の短い旅も私には十分満足した自由時間であった。あの通りすがりの思い出の町は2頭で引っ張る牛馬が町中をのんびり徘徊し生活の匂いを色濃く残していた。市井の人達は時代の移ろいにも比較的無関心にも思えた。そして北に移動するほどムスリムが多くターバン姿や南インドと多少衣装の違いがあることがあらためて分かった



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