川崎廣進・工房カワサキの世界

〜The World Of Koushin Kawasaki & Koubou Kawasaki〜

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ハイデラバードも秋の気配    2008年09月21日

毎夜きれいな月があたりを照らしている。先日こんな都会の中でもトンボが夕暮れの空を無数飛んでいた。ここは今はまだ雨季だが秋には違いない。椰子の葉を越して見える月には秋の色を感じた。日本ならさしずめ縁台に腰掛けて団子を食ながらススキの穂越しに見る中秋の月を体一杯に感じるだろう。広々とした加賀平野の中に小さな農家の長男として私は幼、少年期を過ごした。周り一面豊かに実った黄金色の稲穂が頭(こうべ)を垂らす大切な収穫の季節でもあった。

たとえここは異国であろうが、秋の夜空を見ていると古里のその光景が私の頭に蘇り、つい、今しがた迄子供であった様な錯覚を覚える。そんな郷里も今はすっかり変貌し物寂しさを感じるが、時折強く郷愁にかられるのである。人間は幾つになっても心の中に残像として、ふるさとの思い出だけは屍(しかばね)になるまで消えないのではないだろうか? 無心に育った少年期が50年有余も過去った今また新鮮に記憶を蘇るのである。

生きてる限りみんな古里を持っている。近かろうが遠かろうが生まれ故郷の風景や幼き頃の想い出は母体回帰願望のように、幾つになっても心の中で一本の細い紐でつながれて、孤独で、物寂しい時には決まって眠っていた懐旧の情に酔いしれるのである。仕事や何かに打ち込んでいる時は、そんな思いが微塵にも出てこないのに、自分の心のもろさを露呈している様である。笑われるかも知れないが本能的に備わっている複雑な人間の二面性を今更の様に痛感するのである。

インドと言え一つに繋がっている夜空を見上げていると、少し目線をずらせば、すぐそこに私を長く育ててくれた日本があり故郷もある。天を仰いで大声で「お〜〜い」と叫んだら、きっと天体の何処かで私の声を届けてくれるのではないだろうか。聞こえずとも心の一片でも運んでくれるのではないだろうか。月夜の道を自分の影を踏みながら歩いていたら、この地面とこの影は何時までも私にくっついてくる。「このまま進むと日本も遠からず」と思って歩いたものである。

皆はインドは常夏で極暑で劣悪な国のように思っている。しかしこのインドは巨大な国家である。日本より寒い所もあれば日本と同じ湿度が高く暑い所もある。砂礫地帯もあれば農業に適した水耕土壌も多くを占めている。世界で名だたる金持ちもいれば極貧の民も多い。国は貧しくとも先進国から放浪して来たエトランゼも多く住んでいて、いわば他国民族国家である。汚い所も多いが山紫水明の世界も数多く、まさに森羅万象の世界が枯葉の賑わいのように混在している。

花屋さんの店先には秋にふさわしい野菊もあればもう少し経つとポインセチヤも赤い葉をつけて店先に並ぶ。今からりんごもいっそう甘さをましてくるようだ。豊富な野菜や果物が何時も店先に整然と並び、まるでその飾り付けがモザイクのような手の込んだ売り方に感心した。漠然と住んでいると、ただ暑くて汚い国と思うが、少しでもこの国に自分の心を近づけてみると、今まで気づかなかったものが見えてくる。月を介して忍び寄る秋の気配も心に染み入るのである。

写真9月ガネーシャ祭  果物屋さん  写真家目指すラムの月



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