川崎廣進・工房カワサキの世界

〜The World Of Koushin Kawasaki & Koubou Kawasaki〜

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第二回目ヒマラヤトレッキング(その2)    2008年10月27日

2008年10月3日、8名の一行はニューデリー駅のホームで待ち合わせた。人口の多さ、国土の広さと言え、今世紀世界の注目の国、インドの首都にしては早朝とあって閑散としていた。しかし相変わらず、地べたに`敷物1枚に包まって寝ている人達が目立った。

6時50分  列車は定刻に入りオンタイムで発車した。車内は空席も無い状態で8名は別々だった。ハリドワールまで約5時間、列車は北に向かって黄金色に染まった穀倉地帯をひた走った。白昼の車窓から眺める秋ののどかな田園風景が何処までも切れ間なく続いていた。

広漠とした内陸部には濃緑色の高木が広い農地の境界目印のように整然と立ち並んでいた。比較的整理された農地は刈り入れ前の穂波や刈り入れが終わった切り株、とうもろこし畑、牧草地等々で、まるで黄金色から濃緑色まで違和感の無い同色系の色紙を敷き並べたような爽やかな色合いが、私の目と心を和ませた。そんな牧草地に農耕に専従する牛や馬が秋の柔らかい陽光を浴びて草を食んでいた。

ハリドワールに昼頃着き、10分ほど歩いたホテルで明朝の出発までゆっくり休息をとった。午後は混雑の中2キロ位歩いてガンジス川の沐浴風景を見に行った。狭い道路の両側には、土産物店がひしめきあって並び、おまけにヒンズー教の祭りと相まって車の通る隙間も無いくらいの混みようだった。驚いた事にここは人力車が多くオートリキシャーの数ほど街中を徘徊していた。約200メートルほどあるガンジス川の両岸には祭事にちなんだ祭事用品、土産の店で一杯だった。

道端には頭から髭まで真っ白でいかにも死期はもう遠くないような老人たちが白くうす汚い着物のような出で立ちで、方々4〜5人ずつ固まって橋の欄干にもたれて喜捨を乞うていた。ターバンを巻いた老人も数組いた。両岸には1メートルくらいの幅で鉄の鎖が上流から下流までつながれて、その1メートルの鎖の中に入って顔まで沈む人、首まで浸かる人などが沐浴して身を清めていた。見たところ深そうで鎖を超えたら、たちまち濁流に流されそうな不気味さであった。

河岸に売っているバナナの葉っぱで作った小船に花びらとロウソクに灯を点して日本のショウロウ流しの様に家族中で流している光景もあった。残照の聖なるガンジス川に幾つもの小さな灯りが、ゆらりゆらりと消えていった。私は石段の下で腰を下ろし裸足になって足首だけ下段に浸かって思い出に絵を描いていた。後ろには瞬く間にギャラリーで一杯になっていた。7段ほどある階段はゴミが多く子供たちにこんなゴミは神聖な川に棄てない様拾ってビニールに入れて見せた。

大人達も子供たちも理解した様な顔をしてそのビニール袋を焚き火に持っていって燃やしていた。馬に乗った警察官が私の邪魔をするなとギャラリーを払い退ける様に手を左右に振っていた。よほど私もパンツ1枚になって川に体を浸かろうと思ったが絵を描くのに追われ日も暮れかかり、水も冷たく思いとどまった。石段の10センチほど水に浸かった最下段はぬるぬるして足に力を入れるとたちまち川の中に滑り落ちるように厚い藻のような物で覆われていた。く



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