川崎廣進・工房カワサキの世界

〜The World Of Koushin Kawasaki & Koubou Kawasaki〜

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第二回目ヒマラヤトレッキング(その6)    2008年11月13日

Gaumokhのキャンプ地は氷河地点から1時間ほどバックし再び川下に向かった。右側土手を越えた一角に5000坪ほどの平坦な場所があった。その片隅に今日の泊まる人達のテントを10張りほど張っていた。白人グループもいた。日が暮れるまでまだ時間があり川原に出て渓流を見たり、周りの石だらけの風景の中で時間を過ごした。私もその辺の石ころに座ってスケッチしていた。川が近いせいか大きな水音が轟々と、やみまなく聞こえていた。私は標高4000メートルのあたりから頭痛がしだし何時もの持病と思い常備してきた頭痛薬を飲んだ。

このガモックは高い障害物も無く両サイドの視界がすっきり開け、山々は次第に夕日に染まっていった。なかでも鋭く天に突き刺したような最高峰シブリン(Shivling)は夕陽の当たるオレンジ色部分と陰になる濃紺のコントラストは、時間と共に色が次第に変化し、あたかも生き物のような艶やかさであった。デナータイムは薄暗いガス灯の中で2人の子供達と共になごやかに、暖かい食事と雑談を交えながら夜空を眺めて時間を過ごした。

この様な両サイドが屏風の様に高くそびえてた山奥に来ると、東西南北が分かりにくい。川でも上流、下流でも山裾をぐねぐね回っている。遅く昇る朝日、早く沈む夕陽だが、やはり太陽を頼りにするのが一番確かである。三日月はチブリンの頂上をまたぐように、左上から次第に右上に移動すると星はいっそう大粒の数を増し輝き始めた。天体に詳しいKさんは子供達に指差しならの星の名前を教えていた。毎夜見る星の賑わいに何度も我を忘れて仰向いていた。

気圧のせいか頭痛は私一人ではなかった。今日は2回ほど頭痛が来て薬を飲んだ。 皆色んな薬は持っていた。インドの家族4人で来ていたBさんも、心配してインドの薬を下さった。12歳の双子の姉妹の一人も来るなりからずっと体調が優れず、食欲も余り無さそうだった。翌朝7日も快晴の中朝食後Tapovan (標高4463メートル)に向け出発した。しかし体調の思わしくない2人は、先へ行く事を断念した。今度も最年長の私は4000メートルまで来れたことに満足だった。

打ち合わせの末7日は2組に分かれた。Tapovan行きとBhojwasaに帰り翌夕方皆と合流する事を約束して別れた。今年のトレッキングはミュー(ロバで荷物を背負う動物)がいなく、終始ポーターに頼む事にしてあった。50−60キログラムの重い荷物を持ってよく危険な坂道を上り下りするな〜と、その姿を見るとお金の為と言っても頭が下がった。下りの道はポーターには楽そうで足軽に進んでは我々老人組みを待機していた。気の毒だったが足がついていかなかった。

昼過ぎに着いた我々は早速泊まりの予約をし、寝る場所を案内された。10人用の大きなテントは、私たち以外2組の白人グループで満員だった。早速明るいうちにと思い私はスケッチに出かけた。夜食時間の食堂はヨーロッパのグループが多かった。私は言葉の判らない中で一人120円のコーヒー飲みながらヒマラヤ地図を見ていた。頭痛以来少し体が重く感じ早めにテントの中にもぐった。



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