川崎廣進・工房カワサキの世界

〜The World Of Koushin Kawasaki & Koubou Kawasaki〜

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第二回目ヒマラヤトレッキング(その7)    2008年11月16日

10月8日Bhojbasaの朝は早く寝たせいか目覚めはよかった。2日前に泊まった時はもっと寒かった。同じテントに泊まった白人の3人組はもう出発していた。私たちは夕方Tapovanから帰ってくるグループとここで合流する事になっている。私は簡単に朝食を済ませて、今日はのんびりとスケッチをしょうと考えていた。ただ私も体がすっきりせず食欲も無かったが、同行のOさんも一昨夜からの不調が今日も回復せず食事もせず寝たっきりであった。

ボジバサキャンプ地の朝は皆出発し新しいお客が来る午後まで、周辺で日向ぼっこしてゆっくりとくつろいでいた。スケッチしていると食堂や手伝いの山男たちが私の描いている所まで見にきて自分を描いて欲しいといってきた。よく見ると彼は朝食のとき私の食事を運んできた不精髭の男だった。愛想の好い人だったので私は夕食をご馳走してくれる約束の条件付で承諾した。私は我々が泊まったテントの前で椅子を持ってきて座ってほしいと言った。彼は喜んで椅子を持ってきて座った。そこには同行のOさんが一人体調優れず寝ていた。

彼はいかつい顔をした大男だが意外とやさしく、ポーズの要求にも素直だった。椅子に座って描こうとしたら途端に大きな屁をしてにっこり笑った。私はペンを持った手を緩めて一息ついて「なん〜だ、インド人の屁も日本人と同じじゃないか」と心の中で独りごとを言った。私もしょっちゅう腹が張って、周りを確かめて放屁するが彼は大胆であった。山男は肌が赤焼けした黒肌に目じりが上がり体もがっちりし私より一回りも2回りも大きかった。

描いた絵を彼に持たせて一緒に記念写真を撮った。ランチタイムもOさんは食事が取れず眠っていた。この調子だと医者でも呼ばなくちゃと思ったが本人は少しずつ回復に向かっている様子だった。私はヌードル食べてランチを済ませ午後も周辺でまたスケッチしていた。3時ごろ少し離れた草むらで絵を描いていたら後から「爺ちゃん」と子供の呼ぶ声がした。振り向くと、出発したときから体調が優れず食欲なかったB嬢だった。「な〜だもう着いたのか、皆どうした?」

「どうして私の居る所が分かったんだ?」 B嬢は「キャンプで聞いたら絵描きさんはあっちへ行って描いてる」と言って教えてくれたらしい。早い時間に一行はTapovanから下りてきた。早速宿泊場所を聞いたら今日はシルバサ(Chirbasa 3600メートル)まで行くとのことだった。さっそくOさんの健康状態を聞いたら「大丈夫」とのことで皆一緒にボジバサを出発した。歩きながら大事な事を思い出した。あの山男に絵を描いたお礼にデナーをご馳走になる約束をしていた。

シルバサに着いた時はたっぷり明るさが残っていた。ここまで来ると緑も多く残っており「パインの森」と言っていた。川原にまで下りたパインの森は、白樺と松が半々に繁茂し、木々の間から下草の浅い緑が覗いて、まるで整備された避暑地の様だった。ここは渓流の50メートルくらいまで緑地がせまった川原の中だった。私たちはさっそく荷物を降ろし暗くならないうちに周辺を探索した。建物は何も無く下界の森の様相であり、どこで食事を作るんだろうと余計な事を考えた。



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