川崎廣進・工房カワサキの世界

〜The World Of Koushin Kawasaki & Koubou Kawasaki〜

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第二回目ヒマラヤトレッキング(その8)    2008年11月17日

僅かな時間でみんなのテントが張られ、食事用の大きなテントも用意された。中を覗くとテーブルの周りに8人分の椅子まで据えてあった。周辺が暮れなずむとテントの中にガスランプが吊られ、暖かい食事が用意された。私の大好きな美味しいスープが出されたが胃の調子が2日前から優れず、おまけに下痢の兆候がでて我慢して食事を少しだけにした。ハイデラに帰るまで3日あるのにまた一昨年のように下痢に泣かされたら大変と思い下痢薬をもらって飲んで用心した。

昼間はあんなに暖かかったが夜は寒くて身がちじまりそうだった。ポーターたちは6〜7人固まって焚き火で暖を取っていた。彼たちは帽子をかぶり、体に毛布を巻きつけて暖かそうだが、肝心の足は素足でサンダルや草履を履いている人も半分いた。私は皆の輪の中に挨拶して入れてもらい、久しぶりの焚き火に温まった。ヒマラヤに来て、昨夜迄のんでなかったタバコを昨夜ボジバサの食堂で買った。何人か白人がのんでいたので、つい体の中に煙を入れたくなり、ポケットからおもむろに出し、くわえて火の点いた小枝を口元に運んで火をつけた。

焚き火の灯りがみんなの顔を照らし、ヒンズー語と違う雑談を聞きながら、私も仲間になって、オーバな動作を交えて日本人であることを伝えた。同行のMrビピンも輪の中に加わったので通訳してもらい「この青年たちは何処から来ているのか?、一人何キロくらいの荷物をいつも担いでいるのか?、彼たちは客と一緒に次のキャンプ地まで運んでは、そこで泊まって又次に移る、という生活ですか?」色々なことを聞く事が出来た。彼たちはネパールからの出稼ぎに来ているとのことだった。

そして60キロくらいの荷物を担ぐそうだ。しかし何処で寝て、何処で食事をしているのか?何処で泊まっているのか、あたりにそんな所が見えなかった。そして10月一杯でヒマラヤは冬になり、もうお客も来ないのでネパールに帰るといった。彼たちはヒンズー語を聞き分けながらMrビピンと話していた。皆まじめそうな好青年ばかりだった。きっと家族を置いて故郷を離れ半年は帰らないだろう。「たっぷりお金をもうけて家族を助けてくださいね」と激励したくなった。

毎夜のことだが、星がきれいに瞬く頃寒さも一層増し、次第に薪も底をつき、残り火を消しておのおのテントに戻った。周りは漆黒の闇に変わったが空だけがにぎやかに星が輝いていた。ボジバサからこのパインの森までは比較的楽な下りであった。約200メートル下った位で植物の生息状態が随分違っていた。石だらけのグレーの無彩色から、降りてくるとだんだん地被植物の落葉した茶およびこげ茶とグレー混ざりになり、白樺が半落葉に変わり、濃緑色の針葉樹で覆われ紅葉も混ざってくる。

たかが2、3日人間の足で動ける範囲内で、こんなに環境が変わるなんて、自然は人間の心に様々な印象を与えてくれて多くの事を教えてくれた。



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