川崎廣進・工房カワサキの世界

〜The World Of Koushin Kawasaki & Koubou Kawasaki〜

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第二回目ヒマラヤトレッキング(その9)    2008年11月23日

10月9日Chirbasaは快晴だった。朝日が川原の白い石や白く泡立つ川面の水を照らし、私はその水を手のひらに汲んで一口飲んでみた。朝食までの僅かな時間ではあるが体の中に冷水が滲み渡って入った。しかし体調がすっきりせず、昨日に続いて朝食も少なめにした。出発まで川原の周辺に育っている草花や、周りの景色をスケッチしていたが、冬、間近とあって草花はどれも終わっていた。

体調を崩していたOさんはだいぶ元気を取り戻していた。今日は最後のトレッキングで距離はかなりのロングであった。道こそさして嶮しくないが、夕方にはG angotriに着くんだと思ったら気が楽になった。私は皆より一足先に1人出発した。それと言うのも岩登りのスポーツでボルダリングをしているNさん、Kさんと、B.ネルソンサンの双子の娘、A嬢とB嬢がキャンプ地にあった巨石に挑戦していた事と、下痢の心配もあったので途中休みながら歩こうと思っていた。

最初の山を登るなり道が二股に分かれていた。私は太いほうの道をと思い右に曲がった。10分ほどのぼりが続いたところで息切れして一休みした。そこから我々のキャンプ地が眼下に見え、まだ同メンバー2、3人の姿が小さく確認できた。私は寝たり起きたりしながら、仲間の通過を待ったがいっこうに来なかった。待てど来ないので通りがかりの人にガンゴトリーの方向を聞いたら反対といっていた。あわてて来た道を早足で歩きグループに追いつこうとあせって歩いた。

しかし歩けど歩けど皆と合流しなかった。途中方向を2度確認しながら歩いていると、2回も「日本人ですか?グループは先に行ってる」と言い伝えを聞いた。ちゃんと先で出会った人に言い伝えてもらっている事に私は安心して歩いていた。しかし体調は必ずしも優れず、すぐに疲れが出ては休み休み歩いた。下りなのにどうして疲れるのだろうか?下を見ながら息を整え黙々考えていた。右の山側中腹が大きくカーブし、先の見通しが効いた所で2人の姿が先方に見えてきた。

2人と合流したものの、体が次第に疲れが激しくなり少し歩いては休んだ。登って来る人にはヒンズー教の信者の、軽装な姿(サリーにゴム草履をはいていた人)にも何人か出会ったが、この寒い所でと感心した。左側の谷底の川の水音だけが響いて聞こえていた。10匹ほどの雄、雌ヤギが左の崖から一気に右の急稜の岩肌を40メートルほど登っていった。細い針金のような足で俊敏だった。

途中皆が合流したが、岩登り(ボルダリング)の道具で一畳ほどもあるボードを、軽いといっても、終始担いでいる2人は大変だと思った。お昼は弁当食べて長く休んだが一向に回復の兆しが無かった。すぐに息切れし、足を引きずるようにだらしなく歩いた。Oさんの歩く様子が回復している様で安堵した。



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