川崎廣進・工房カワサキの世界

〜The World Of Koushin Kawasaki & Koubou Kawasaki〜

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時々訪れる寂寥感    2008年07月20日

私はこの1週間ほどパソコンに興じている。日本に居るときは周の喧騒に寂しさなど感じた事ほとんど無かった。このインドに来て以来、考えることの多い時は何も普段と変わらない生活である。しかしいったん夜中になってくると何か侘しくて寝つかれない時がしばしばある。日本で10年も禁煙していたタバコをぷかぷかふかしながらパソコンの前に座っている時間が段々長くなる。

これしか時間をつぶす方法が無いのか?  目的から外れて無意味な時間が刻々と過ぎていくのを承知でキーボードを叩く。2冊ほど読みさしになっている本も読んでいると目が疲れまたパソコンを触る。考えてみると何もインドまで来なくても、日本にいても同じ事ではないだろうか?  私はいったいなんでインドにいるんだろう。このインド日記も悶々とした中で真夜中静かに独り言をしゃべりながら打っている。パソコンの机の上には水とビスケットとバナナとコカコーラを買って眠くなったら口を動かしながらキーボードを叩いている。

何だか今夜は孤独との戦いだ。インドに来てからは何時もより口数が減ってきたのを痛感している今日この頃である。それもそうで1人生活では自分と話をするしかない。本を読んでるか、パソコン触っているか、後は絵を描くか、街をうろつくか、どれをとっても中途半端な時間の使い方だ。今私の一日はなんと言ってもパソコンが一番の連れ添いになっている。しかしそんな暮らしにも限度がある。ブラインド越しの外に焦点の合わない目をやって、茫然自失と暗闇の世界を見ていると「私はインドに来たときの動機はいったい何だったんだろう?」

私を知っている人たちは異口同音に「彼は絵を描きに行っている」と思っているに違いないし事実その通りである。ところがさにあらず心と体が向いていかないのである。随分贅沢な考えである。これはお金のたっぷりある人が体験するような日々の暮らしである。無計画なこの生き様は嘲笑の的になりかねない。ただ救われることは「私はリタイヤ族である」と自己弁解を許している。

1週間のツアーパックでワイキキの浜辺で、私心無心の心境で身も心も裸になってリラックスして過ごす時間も何も変わりは無いだろう。私はこうして楽しい希望に満ちた人生を体験出来るなんて私は幸せ者であると思ってきた。しかし男は強そうに見えても意外ともろい一面があるのに気がついた。心の中なんて誰も見えないのである。その点女性の方が一見ひ弱に見えてもはがねの様な強靭な精神が、生まれながら体の中に仕組まれて宿しているのではないだろうか。

その理由は女性の一人暮らしは世にいくらでもあるが男性はいろんな面で相手がいれば結婚や再婚をしたがり私とて同じムジナである。「おいしっかりしろよ」と自分をせき立てる様に口の中で言葉を吐き出す様に言ってはみても体は何一つ反応してくれない。高年齢に近づくと屁理屈ばかりが体から漏れてきて、持ち前のパイオニア精神が何時の間にか何処かに引き下がっていってしまう。



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