川崎廣進・工房カワサキの世界

〜The World Of Koushin Kawasaki & Koubou Kawasaki〜

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差別と区別    2008年09月16日

インドに住みだして通算1年3ヶ月も終わった。ここに来て一番のカルチャーショックを受けた事は何と言っても貧富の差の大きさに驚いた事だった。あと2ヶ月ほどで一度VISAの関係で帰国しなければならないが、私はたった一年余りでインドで5年間滞在したほどのインドの一般大衆の生活の中に深く根を下ろし体験もさせてもらった。お陰で生活費も安くつき、以前インド日記に書き記したように経済的に過ごせた。将来日本の年金生活者がこの国でどんな生活が出来るか、体で捕らえる事が出来た事は私の残された人生にとって千金に与えする自信を持ち得た事である。

初めにインドに興味と感心を持ち出した頃は多くの誤解や錯覚が私の頭を混乱し躊躇もした。その度にインド体験記を読んだり、インドに関係した新聞や雑誌を切り抜き情報収集しシュミレーションまでした。「インドでインド人を描きたい」まず自分の出来る範囲を定めた。蓼食う虫も好き好き、「多少の迷いや困難は人生の付きもの」と自分に言い聞かせ、自身の気持ちを前向きに固めていった。「流刑の徒」のように海を渡ってしまえば後は何があろうが自分との戦いだけだ。

灼熱地獄のインド、手で食事する習慣、貧しく汚い国、トイレは紙を使わない国、等々枚挙に暇がない。否定はしないが、人口を多く抱えて発展して行こう思えば、どの国でも同じく一度はたどる道筋であろう。差別意識はあながち無知から発生する事もここに来て体験し恥じいた。物乞いで生活している人がこれだけいる事はカースト制が無くならない限りこの国の体質で、一職業的で誰もその事に口も出さず、意見も言わず、タブーの問題は固く口を封印したままである。

レストランでコーヒー飲んでいても、私の4人掛けテーブルの上に置いてある4つのコップの水を通りがかりの人が平気で飲んで去っていくのは、貧しい人に対する国の政策の寛大さが認知されているようだ。そんな事はインドに住んでいるといっぱいある。先日、前の屋台で朝食のDOSA(1食約15円)を食べていたら物乞いの人が皆に手を伸べた。すると屋台の夫婦が一食分さりげなく差し上げていたのを見ていると、そのしぐさは恩着せがましくなくごく自然な風景だった。

ここにきて読んだ日本人が書いた本に、物乞いの子供が「お金を恵んでください」と手を差し伸べたら、その旅行者は「私も貧しいので逆に恵んでください」と冗談に手を伸べると、子供は疑う事もせずポケットに手を突っ込んで持ってる小銭を半分渡したと、事例が書いてあった。ここでは富める人は貧しき人を助け合うと言う精神が定着し、それが貧富織り交ぜた共存社会を作り上げ、その中で相互扶助の精神が育っていったのではないだろうか。

しかし何処の国でも先進国になるまでのプロセスは皆同じで、行き着くとこまで行くと、どの時代が自分に合っているか?その切り口を選択し、どれが地球の為になるのか、何がネイティブライフなのか、多くの選択肢から選ぶような考え方が定着するのではなかろうか。今インドはそれら多くの問題を抱えて、この広い大地を彷徨し着地点を探しているようだ。



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