川崎廣進・工房カワサキの世界

〜The World Of Koushin Kawasaki & Koubou Kawasaki〜

menu

2006年
2007年
2007年ヒマラヤ
2008年
2008年ヒマラヤ


アジャンタとエローラの旅(その1)    2008年09月09日

9月5日夕刻6時10分セカンダラバード発の寝台車付列車はまだ周りが明るいうちに定刻で出発した。いつでもインドや中国で長距離列車や飛行機は長蛇の列で大変苦労すると聞いていた。やっぱりインドや中国のように人口の多国々は公共の乗り物に乗ろうとすると切符の買い求めに大変に苦労するようだ。今回の車内は駅のような煩雑さは無く室内温度もほどほどに冷房が効いていて快適に出発した。私の周りは週末旅行を楽しむのか一家族8人の大所帯だった。

列車は予定通り早朝4時Auranga bad駅に着いた。まだ薄暗い静かな駅前は「田舎町」という感じで、インドを代表する世界遺産のある街にしては、広い駅前は軒を連ねた商店が立ち並んでる様子もなく淋しかった。しかし熱心なインドの商人(オートリクシャーの運転手)だけは何処に行ってもカタコト日本語で交渉してくる。ここに来ると日本人が多いと聞いてきたが、あれだけの言葉を操れると言うにはやはり日本人慣れているのだろう。最も日本でのツーリストではトライアングルコースとして、インドでの3大名所巡りにて選ばれているらしい。ホテルに着くなりシャワーで夜汽車の疲れを洗い流して2時間ほど一眠りをした。

エローラ行きのガイド付バスは朝8時半出発と聞いて簡単な朝食を済ませた。一部屋素泊まりで1000ルピーの部屋は広くて綺麗でテレビまでついていた。朝20人乗りマイクロバスに乗り込むと5、6人若い日本人も乗っていた。途中ホテル2、3箇所を集客しながら目的地エローラ(Ellora)に向かった。

エローラは比較的駅前ホテルからでも近く、自転車で40分くらいで来れそうな距離だった。バスを降りるや、大木の茂り越しに霞んで見える古城(Daulata bad Fort)を、私は急に描きたくなり、私一人だけ入場券を買わず古城に行かない旨を伝えて残った。周りの入場券売り場前には本や絵葉書や土産小物を売る人達の溜まり場になっていた。ツアー客がスタート時点で残る人は誰一人無いだろし私はお陰で物売りの攻撃の餌食に会い、うるさくて落ち着いて描けない位であった。

必ずしも満足な時間ではないものの限られた時間の中で手抜きをしながら絵を一枚スケッチした。しかし何処に行ってもインド商人の商魂たくましさに頭が下がった。先日Rishi Valley Schoolで夕刻絵を描いていて蚊の猛追を受けた事を思い出した。今回も払っても払っても手を変え品を変え日本人と思えば巧みに日本語を駆使して何でも売りにくる。こちらがどんないやな顔をして断っても決して腹を立てるような顔を見せない。そんな彼たちは一回りも二回りも大人に見えた。

そして何処に行っても若い日本人男女が2、3人で我々のまだ半額位の安宿に宿泊しながら旅している姿は「日本人もたいしたもんだな?」、年々この地球が小さく、狭くなっている事を実感し、微笑ましく想った。そしてこのバスには色んな国の人達が乗り合わせていて、言葉さえお互い通じ合えばもっともっと領土紛争や宗教、イデオロギー等々誤解を解き、難問を克服し互いの協調や協力によって世界平和の為に話し合えるのではないだろうか?  続く



inserted by FC2 system