川崎廣進・工房カワサキの世界

〜The World Of Koushin Kawasaki & Koubou Kawasaki〜

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第二回目ヒマラヤトレッキング(その5)    2008年11月09日

10月6日Bhojbasaの朝はえてつくような冷たさだった。一昨年5月のヒマラヤトレッキング(最高3600メートル)の時より、今私が約150メートルも高い所に立っていることに優越感をもった。夕べも、毎夜ヒマラヤから仰ぎ見る星はどうしてこんなに綺麗なんだろうか。天の川も幅広の帯の中に大小さまざまな米粒をばら撒いた様で、あたかも光の生き物が空から降って来る様で、その瞬き方はオレンジ、黄、白が交じり合って、少しのにごりも無く、光輝いていた。

一行はガモック(Gaumokh 3892メートル)に向かって8時ごろ出発した。ここまでガンジス川は進行方向右側遠くの山裾に、激しい水音だけを残して流れていた。歩道は次第に川原の方向に入り、我々は石コロだらけの川原でランチを取った。柔らかな秋の太陽の下で皆弁当を広げた。ジャムつきトースト、りんご、ゆで卵、ジャガイモ、チョコレートなど毎日よく似た物が詰め込んであった。我々の上を数羽のカラスが旋回しながら近くに下りて我々の余り物を狙っていた。

インド、ヒマラヤのカラスは口ばしが赤く、鳴き方も「カ〜〜、カ〜」という発音ではなく、どこか?何か?少し違っているんだが言葉で表現できないのである。

食後1時間ほど川原で仰向けになって寝転んだ。雲ひとつ無く澄み切った青空の下で、太陽は私の顔を照り続け、気持ちよくじっと目を閉じたり開けて、カラスの数を数えていたら肌寒くなり厚手の物を着込んだ。背中に朝から歩いてきた時の汗がしっとり滲んでいたからだろうか。

昼休みをゆっくりとって出発した。この川原の両サイドに高い石山が屏風の様にそびえ、その奥に新雪をかぶったシブリン(Shivling 6540メートル)が鋭い剣を天に突き刺すように雄大にそびえ、前後周りにも多くの雪山が連なりそびえていた。それらはヒマラヤ連邦と言われる数々の山並みだろう。左右の山から転がって落ちてきた巨大な石が、川の中や歩道に立ちはだかり、まるで記念碑のような巨石がヒマラヤ独自の水景を造り、そこを通る人間の存在は小さくも見えた。

途中左上前方に大きな石にヒンズー教で何かの横文字が大きく書いてあった。そして下に標高4000メートルと書いてあった。「ついに4000メートルまできたぞ、日本にこんな高い山がない処まで67歳の私が来たぞ」「元気にこれたお陰でお前に出会えたんだ、ありがとう」石の芯まで届くよう念力こめて心の中で喜び叫んだ。そしてそのランドマークの巨石を自分の手で撫でた。登山などしない私は、今日まで元気に生きてこれた喜びを石に伝えたかった。

それから1時間も歩かないうちに今日の終点の氷河が巨大ダムの様に川幅をせき止めていた。その下部の見えない所から雪解け水が轟音をうならせて吹き出ていた。10階建てビル位の高さの氷の中に500〜1000キログラムの角張った石がたくさん氷に挟まっていた。高い壁はオーバーハングして、いつ上から崩れてくるか危険なので近づかないよう再三の注意があった。川になるほどの水量が絶えることなく流れ続ける大自然の仕組みと偉大さに感服し敬意を表した。昼過ぎに着いた我々は早速泊まりの予約をし、寝る場所を案内された。10人用の大きなテントは、私たち以外2組の白人グループで満員だった。早速明るいうちにと思い私はスケッチに出かけた。夜食時間の食堂はヨーロッパのグループが多かった。私は言葉の判らない中で一人120円のコーヒー飲みながらヒマラヤ地図を見ていた。頭痛以来少し体が重く感じ早めにテントの中にもぐった。



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